生首という名の戒め
皆さんはメキシコと言えば何を想像しますか?
サボテン、タコス、それにマリアッチにテキーラ。
そしてナルコスと生首。
サルサディップの様にえぐられた四肢。
警官が麻薬カルテルの一味を逮捕すれば、その逮捕した警察の家族の生首が小学生の通学路に並べられる。
はたまた薬の売人や、そこの客が下手を売ったり、売上金を持ち逃げしようものなら、そいつの手足を切断した挙げ句、道路に遺体をゴロッと投げ捨てる。
昔のことなら未だしも、21世紀以降もこの様な “見せしめ” が行われているのは、非常に “Loco” な話だと思います。
そんなおっかない話がメキシコ革命の時にも起こりました。
アステカ帝国滅亡の1519年からスペインの統治下に置かれたまま、300年が経過した頃の出来事です。
この300年の間で太平洋奴隷貿易がヨーロッパ・アフリカ・アメリカの間で盛んに行われ、多くのアフリカンが中南米に渡ってきました。
それ以降、植民地の混血化は大幅に進み、人種に拘っていたヨーロッパ社会は線引きを明確にして身分制度を強化していくことになります。
それに加え、人種意外でも出身地によって職業を区分されることになりました。
例えば、ペニンスラールと呼ばれるイベリア半島(スペイン・ポルトガル)で生まれた白人。
彼らは植民地支配者としての権限がありました。
次に植民地(ヌエバ・エスパーニャ)で生まれた白人のクリオーリョ。
彼らは植民地支配者と労働者の狭間に位置する身分で、どっちつかずの状態。
主に植民地の軍隊や、農場の管理人として生計を立てていました。
この棲み分けの壁が、後に大きな軋轢を生むことになります。
農民の身分は人種によってさらに細分化されました。
土着のインディヘナ(先住民)、それからメソティーソ(インディヘナと白人の混血)、ムラート(黒人と白人の混血)、そしてアフリカンといった具合でした。
で、彼らを常に襲うが不安。

何で人種や出身地で差別されなあかんねん。もうそろそろ我慢の限界や。憎たらしいで、あいつら、いわしてもうたる。革命じゃ!!!
となるものの、なかなか踏み出せない状態が続いていました。
そこで、着火剤となったのが主食であるトウモロコシの価格の高騰。
干ばつに陥ったのがきっかけで、

いや、金ないのにコーン高すぎやろ!餓死してまうやん。白人のあいつら、ちょっとはこっちに分けぇよ。金ばっか取りやがって。ホンマ、ええ加減にせえよ。
となっているところに、火をつけたのがメキシコ独立革命の主導者 “ミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ” でした。
彼が農民と共に掲げた要求は
- 税金の廃止
- 奴隷制の廃止
- 奪われた農民の土地の返還
しかし、この農民一揆はスペイン軍の前では歯が立たず、あっという間に鎮圧されてしまいました。
農民を率いたリーダー・ミゲルは反逆罪の判決が下り、銃殺刑。
その後、四肢を切断。
見せしめとしてスペイン軍は彼の生首を道端に放置したのでありました。
しかし、その残忍な見せしめとは裏腹に、この一連の騒動を聞きつけた国民や、これを目の当たりにした市民の怒りは爆発。
返って、反逆の思想を深めることになりました。
“ミゲルの死” 以降、農民を率いたのは “ホセ・マリア・テクロ・モレーロス・イ・パボン” 。
彼が掲げたのは、
- 国民主権の確立
- 三権分立
- 奴隷制の廃止
- 私有財産の保護
- スペインからの独立
“植民地からの解放と共和国の建国” を目指しましたが、この一揆も敗北を喫し、またしても農民を率いたリーダー・ホセは銃殺されてしまいます。
そんな状態が続く事、約10年。
スペインの社会情勢は時代と共に変化していました。
ナポレオン革命の余波がヨーロッパで残っていたからですね。
ナポレオンが行ったのが絶対王政から民主主義への転換。
近代国家が始まった時代だったんですね。
そのため、政府の人間も民主主義(革命側)に行こうか、このまま王党に留まろうかぐらついていた時期だったんです。
当然、裏切り行為や反旗を翻す事件も多発していました。
その皺寄せがスペイン植民地にも広がっていたという事ですね。
ヌエバ・エスパーニャ(スペイン帝国の植民地)では、王党派のクリオーリョ(植民地生まれの白人)である “アグスティン・デ・イトゥルビデ” という軍人が、革命軍の反乱の鎮圧を命じられていました。
当時の社会情勢を知っていたアグスティンは、植民地の独立のチャンスだと悟り、鎮圧命令を無視して革命軍と結託しました。
その結託の際に非暴力で副王の説得に挑もうと考え、独立のために提案した内容が
- 君主国として独立すること
- クリオーリョ、ペニンスラールどちらも平等
- カトリック教会の保護
でした。
軍事力や社会情勢などから、植民地をまとめていたスペイン副王はこの提案を認めざるを得ませんでした。
よって、第一次メキシコ帝国として近代国家が独立したわけです。
締まりが悪くなりますが、当時はまだ有色人種の平等が認められていませんでした。
Locoっとした気持ちを和らげる曲を紹介
それでは、刺激的なメキシコの独立までを学んだあなたの脳味噌を少しでも癒してくれるような、柔らかい楽曲をお届け致します。
まずは、メキシコ出身のCaloncho(カロンチョ)の “Brillo Mío”。
Brillo Mío = “私にとって光り輝く存在”
サブタイトルがあるならば、どんな状態になってもあなたを守り抜く。
この作品は戦争を風刺しています。
冷静沈着でどこか切ないCalonchoの歌声が聞き手を癒してくれます。

僕らのビーチが燃やされていても、俺はいつでも君のハンモックや。
ゆりかごみたいにあなたを包み込む。
「俺の胸にいれば安心するやろ?」
そう言ってもう一回、互いの手を握りしめるんや。
最終的には彼女に守ってもらうコミカルな寸劇のMVでしたね。
同じくメキシコからSiddhartha(シッダールタ)の “Loco” Feat. Calonchoです。
日本においては、ちょっぴり”Loco”なマリファナの歌。
Siddharthaの歌詞に詩趣を感じますね。
煙のように滑らかな歌声が心に染み込みます。

なんて日だ。
雲から水が落ちてくるなんてな。
髪の毛も濡れて煩わしさを感じるよ。
でも、水に濡れたあなたはとても美しいな。
なんてこった。
地から植物が生えてやがる。
癒してくれる野菜を俺らに与えてくれよ。
それに火を付ければ、煙が昆虫の間を通り抜けて流れ星になって消えるのさ。
宇宙の心理を悟っているような魅力的な歌詞ですね。
Calonchoの巻き舌もセクシーです。
それでは、本日はこの辺で、おおきに!
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