Locoの意味とは?映画アポカリプトはマヤ帝国の”Loco”を表した!?!?

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和訳初期時代
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毎度!

Macaca Percussです!

当ブログでは「アメリカ大陸の歴史とブラックミュージックの変遷、及び貧しい環境の中から這い上がってきたInnovatorsの紹介」や「洋楽歌詞のコテコテ関西弁翻訳」などの企画を中心にまとめていく音楽関連のサイトとなっております。

 

早速なんですけれども、皆さん、“Loco”って言葉をご存知ですか?

中南米、それから西海岸の音楽を聞いていると、よく耳にすると思います。

 

意味は「狂っている」「正気じゃない」他には

ナダルさん
ナダルさん

イッチャッテル!

などが挙げられますね。

 

このような意味を踏まえた上で

良い意味
良い意味

お前はLocoだな。最高じゃねぇか!!

悪い意味
悪い意味

おま…それはLoco過ぎんだろ…いや、ちょ…やりすぎじゃない?

といった言い回しができます。

 

ナダルさん
ナダルさん

LOCO!!!!!

 

でも全く問題はないと思います。

 

英語の“Crazy”と同じ意味ですよね。

因みに”Loco”はスペイン語です。

 

日本語で言うならば、

Mr. Osu
Mr. Osu

あれは“押忍”だな!!

もその類ですよね。

 

我が国、日本の思考も外国の方から見れば

『押忍』『自我を抑え我慢をする』

武士道の精神神風の大和魂のように、奥ゆかしさや誠実さに対して “Loco” を感じるのかもしれません。

 

その様に、今日の記事のテーマは「狂気」

狂気に因んだ、メキシコのお話をします。

 

タイトルにもありますが、マヤ帝国というのはメキシコ以前の国のこと。

というのはざっくりしすぎていて、もっと細かくすると、

マヤ帝国アステカ帝国ヌエバ・エスパーニャ⇨メキシコ」

実際のところ、メキシコの文明はさらに深く、細かく刻まれていますが、この記事では割愛せて頂きます。

なにせ、スペインに侵略されるまでは総じてメソアメリカ文明と呼ばれていて、その内のマヤ文明にフォーカスした映画がアポカリプトといった作品です。

今回の肝となる部分ですね。

 

そして、マヤ帝国が消滅しアステカ帝国がメソアメリカを牛耳るようになった。

その後、そのアステカはスペインに侵略されて植民地にされてしまう。

それがスペイン帝国、ヌエバ・エスパーニャ

そして最後に、スペインの植民地から自由を獲得するために行われたメキシコ革命。 

 

少しどころか、目茶苦茶ややこしいですが、大まかに「マヤ文明⇨スペイン領地⇨メキシコ独立」の変遷で覚えおきましょう。

今日はその辺りをじっくり解説していきます。

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神様は人間の◯◯がお好き

 

紀元前2000年頃から16世紀前半までの間、中米は独自の文化を育んできました。

 

カラッと乾いた気候のユカタン半島では塩の生産が行われ、現在のグアテマラ、ホンジュラスあたりのじめっとした熱帯雨林の地域ではカカオが生産されてきました。

 

一昔前の日本で行われていた交易や物々交換の際に用いられていたのは貝殻であったように、中米ではカカオが貨幣として扱われていました。

カカオの実が3つあれば七面鳥1羽と交換ができるなど、きちんとレートは決まっていたみたいです。

また、カカオの実が600個あれば奴隷と交換できることから、スペインが入植するまでの間に既に奴隷文化が存在していたとされています。

 

主食はトウモロコシ。

すり潰したトウモロコシを練って薄く焼いたトルティーヤはメキシコの産物です。

豆、カボチャ、唐辛子なども盛んに栽培し、それらを調理してトルティーヤに挟んで食べるタコスが現代のナチョスやブリトーに変化していきました。

 

建設技術に長けていた中米のインディヘナ(先住民)は、エジプトのピラミッドのように石で積まれた神殿を後世に残しました。

例えばメキシコの首都、メキシコシティの近郊にあるインディヘナの宗教の聖地、テオティカワン

 

そこに 太陽のピラミッド” があります。

ここで今回のミソとなる “狂気” に関する中米独特の慣しが行われていました。

 

それが “人身御供(ひとみごくう)” と呼ばれる儀式です。

これは非常におっかなくて耳を塞ぎたくなるような話なのですが、歴としたマヤ・アステカ文明の儀式なので昔の事と割り切って見て頂きたいです。

 

まず、マヤ・アステカ文明についてもう少し詳しく説明しようと思います。

それとここからは映画の “アポカリプト” の話もしますので、ネタバレが気になる方は次の項目に進んでいただければと思います。(グロ注意)

 

それでは本題に入りますが、まず、アステカ帝国のインディヘナ(先住民)の思想として上げられるのが軍国主義とヒエラルキー社会

帝国なので当然だろと言う方もいらっしゃると思いますが、北アメリカのインディアンとは異なる感覚です。

 

もちろん北アメリカの中でも中米のインディヘナ(先住民)と同じような感覚を持つ集団はいましたが、ほとんどの北部のインディアン

北米先住民A
北米先住民A

“みんな違ってみんな良い”

キャプテン(酋長)は1人決めるけど、特にこれといった権限もなく、

北米先住民B
北米先住民B

“大地は皆で共有するもの”

といった考えで、抗争があれば参加するしないのどっちでも良く、完全に民主主義的な考え方だったんですね。

 

一方、中南米のインディヘナ(先住民)はピラミッド構造の世界で生きていたので、常に抗争、征服、復讐を繰り返していた国家なのです。

負けた国家は領地を奪われ、傘下に入り、年貢を皇帝に納める代わりに自治権を得ることができる。

いわゆる封建制度みたいな統治の仕方をしていました。

これが一般的なヒエラルキーですが、ここに中米独特のアイデンティティが食い込んできます。

 

それが生贄の儀式人身御供(ひとみごくう)” です。

 

ひとまず、戦争に負けた国家からは大量の戦士達が捕虜になります。

そして、太陽のピラミッドの頂上に連行され、お披露目のごとく台の上で仰向けに寝かされます。

次に石でできた刃物で魚の大名おろしみたく腹部を裂き、はらわたを掻き分け…

動く心臓を取り出し、天高く突き上げて神に祈ります。

最後に、斬首した頭蓋骨をピラミッドから転がり落ちるように投げて終了です。

 

神に人間の生きた心臓を捧げることによって太陽の消滅を先延ばしにするという慣しから、この儀式が生まれたそうです。

生贄の文化を知らないと、非常に “Loco” な話に聞こえます。

想像をするだけでも心が痛みますよね。

雨乞いや豊作の祈願、それから安産などの縁起が良い行事だったそうで、個人的には少し驚きを隠せないです。

 

このように、傍から見ると “Loco” な慣しだと感じてしまうのですが、内側にいる人からすると、この儀式は必要不可欠なもので、それが普通という異次元の世界。

一方の生贄となるインディヘナは日常的に恐怖を感じていたのは言うまでもありません。

 

寝込みを襲われ、村を燃やされ、挙げ句の果てに妻は犯され、子供は泣きじゃくる。

命辛々逃れるインディヘナの様子を描いたのが映画 “アポカリプト” です。

 

また時間があれば是非ご覧になってみてください。

 

そして、この “Loco” な儀式 “人身御供(ひとみごくう)” に終止符を打ったのがスペイン。

映画 “アポカリプト” では一番最後にちょろっとスペイン艦隊が登場して終わってしまうのですが、ここではその先も解説していきます!

地に降り立つ白い神

 

スペインはコロンブスが1492年に西インド諸島に上陸した事をきっかけに、南アメリカ大陸、そして中米、カリフォルニアからフロリダ、さらには東南アジアのフィリピンまで、幅広く領地を拡大していきました。

先住民の村は次々に潰され、支配下に置かれていきます。

 

そうしてできたのが、ヌエバ・エスパーニャと呼ばれるスペイン帝国です。

 

そのヌエバ・エスパーニャに含まれる中米、現在のメキシコ及びグアテマラ、ホンジュラスにあたる土地がメソアメリカと呼ばれていたのでした。

 

土地を拡大するにあたって必要となるのが労働力。

それを担うのも支配下に置かれたインディヘナでした。 

 

そんな中、1542年になるとインディヘナの保護の声が高まります。

理由は砂金掘りや領土拡大における強制労働

インディヘナが酷使される姿に入植者が同情する事によって新しい法律が生まれたわけですね。

それが“インディアス新法”

封建制度の廃止インディヘナの奴隷化の禁止が命じられました。

 

しかし、ヌエバ・エスパーニャの植民地は完全にインディヘナの強制労働に依存していたため、対応ができずに混乱状態。

最終的には、植民地責任者(管理者)によるボイコットが起こります。

 

そして再びインディヘナの強制労働に頼る時代へと戻ってしまったわけなのですが、この問題を解決するために提案されたのがアフリカ人奴隷の導入でした。

皮肉にもインディヘナが解放されると共に、アフリカ人が酷使される時代が始まってしまったのです。

この辺りから太平洋奴隷貿易が盛んに行われ、この悪しき商売が北アメリカ大陸にまで広がり、今も尚ずっと問題視されている人種差別へと発展しているのです。

 

と、ここまで、ヌエバ・エスパーニャの歴史をざっくり説明しました。

少し遡って細かく解説していきます。

スペインがメソアメリカ(マヤ・アステカ文明)を統治下に置いたのは1519年のことです。

 

スペイン軍を率いて入植したのはエルナン・コルテスという男でした。

彼は行け行けドンドンで敵地を攻め込むタイプではなく、周りからじわじわ侵略していく戦略家として後世に名を残しました。

それと同時に、コロンブスと同じく残忍な虐殺者、征服者、及びレイプ魔(彼は後にインディヘナの性的奴隷を持っていたとされています。)として悪名を轟かせました。

 

メソアメリカ(マヤ・アステカ文明)には、儀式の為に生贄をとっ捕まえる部族もいれば、必死に逃亡する部族と先ほど申し上げましたが、エルナン・コルテスはここに着目し、その逃亡する部族と結託することになりました。

さらに彼は、メソアメリカのトップ・アステカ帝国が傘下の部族から高い税金を巻き上げている点にも注目し、それに不満を持っているインディヘナをも手中に収めたのです。

 

スペイン軍についた部族はエルナン・コルテスのことをこう呼びました。

“ケツァルコアトルの化身”

言わば、革命の神です。

 

ケツァルコアトルって何?ってなりますが、メソアメリカの神です。(多神教の中の一柱)

メソアメリカには日本の神道のような神話が存在していました。

その物語の中で人類に火をもたらせた文明の神がケツァルコアトルで、このケツァルコアトルが白い色であると伝えられていたことから、白人であるエルナン・コルテスはこの神の化身だと準えられたわけですね。

 

なので、アステカ帝国を牛耳る国家不満を持っていた部族らは、コルテスに騙されている事に気づかずに、そのまま自国の首を閉めていく事になってしまいます。

 

その “白い神” を筆頭にスペイン軍はアステカ帝国の本拠地に向かいました。

すると、敵対するアステカの国王までも信心深く、ケツァルコアトルの化身が現れたという噂も聞いていた事から、

アステカ国王
アステカ国王

お待ちしておりました。この国をあなたにお返し致します。

と告げたのでした。

 

そして、アステカ国王はエルナン・コルテスを手厚くもてなし、血で塗られた神殿とお供物の生きた心臓を見せたのでした。

しかし、アステカの貴族達はヘコヘコともてなす国王に向かって

アステカ貴族
アステカ貴族

国王!もういい加減にしましょ。あいつ、神じゃないと思いますよ。恐らく私達を陥れようとしているはずです。ここはあいつらを一旦、追い返してから慎重に決めましょう。

そう言って、アステカの部族達はスペイン軍を追い出しました。

 

しかしながら、後日、直ぐにスペイン軍に攻め入れられ、アステカ帝国はあっさり敗北を喫し、文明、慣し、そして多くの命が滅びたのでありました。

 

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